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未だにとは?/ モビット

[ 1412] さおのむかし 「未だに」と「今だに」
[引用サイト]  http://zizimuge.blog44.fc2.com/blog-entry-41.html

「未だに」と「今だに」聞くところによると、「いまだに覚えている」とか言う時の「いまだに」を、「今だに」って書くのは「間違い」だそうな(^^;) オレの感覚と知識からすれば、「未だに覚えている」なんて書くほうが、よっぽどマチガイなんじゃネーノって気がするけど。。。同じことで悩んでいる人は他にもいるらしくて、ここでは、漱石による「今だに」の用例が示してあるが、そりゃーそうだろう。「未」には漢字それ自体に否定の意味が含まれているわけだから、漢学もよく出来た漱石には、「未だに親指は手に付いている」なんて文章は、気持ち悪くて書けないはずだ。 漱石という人は「単簡」とか「三馬」とか、ヘンな当て字で有名な人だけれども、実際の彼は自分で漢詩を作るくらい(これがわりと上手!)漢学の出来た人だったから、適当に書いてるようで、語法の本筋は絶対に外していない。というより、語義文法についてならば誰よりも深く体得していた人だからこそ、あそこまで融通無礙な崩しができるのである。まあ言ってみれば、草書の名人みたいなものだね。 その漱石に対して、かりに現代の誰かが「今だに、という表記は間違っているらしいですよ」なんて指摘をしたら、たぶん彼はハナで笑って、「それはそんなこと言う奴がバカなんだ」と、一蹴するに違いない。 現代の一般向け辞書には、たしかに「未だに」しか出てないみたいだけど、この辺りが学校文法の限界だな、と思う。例えば、最近はあまり言われなくなったけど、「全然+肯定文」はマチガイだという主張とか。これも漱石とか、あるいは芥川なんかに用例があるらしいが、別に何らおかしなことではない。漢字や熟語についてのきちんとした知識をもっていればわかることだが、「然」というのは漢字の後について、その漢字の様子や状態を表す熟語をつくる。例えば「燦然」といえば輝いている様子だし、「愕然」といえば驚いている状態だ。だから「全然」というのは、「全くそのようである」という様態を表現する熟語なのであって、後に肯定表現を伴ったって、全然オッケー(笑)なわけです。 ああ、他にも送り仮名の問題とか。文部科学省が勝手に全部統一して教えさせてるけど、あんなのもっと自由にやっていいんだよ。「訓ずる」ってのは、もともとそういうことなんだからさ。もちろん、Bildung の出来てない人がそれをやると、ダサくてアホなスタイルになっちゃうから、まあ義務教育の間くらいは統一したって構わないけど、その後は好きにやらせるほうが、むしろ理にも適ってるよね。 昔から思っていたことだけれども、どうも現代日本人には、「原則をしっかりと身につけることで、却って得られる洗練された自由な振る舞い」というのを、知らない人が多すぎると思う。ファッションだってそうでしょ。フォーマルをビシッと決めることのできない人は、カジュアルの崩しもいまいちダサい。 三島由紀夫が、「たぶん自分は、日本の古典がしっかりと身体に入った文章を書ける最後の世代に属するだろう」みたいなことを対談で言ってたけれども、どうもシャレにならない話ではないか。 もちろん、原則や様式を不自由の代名詞だと思い込んで、そういうものを全て無にしたがっている、パッパラ明るくてジユーな方々が沢山いらっしゃるのは知ってるけれども。 少なくとも、オレは嫌だね。そんなダサい世の中で、呼吸をするのは御免です。 2006.06.22 07:29 | 語学 |
Author:さお宗教哲学を専攻する研究者。現在、ブログ「さおのあたま」を別サイトにて継続中。こちらは、過去ログの倉庫として使っています。コメント・トラックバックは受け付けておりませんが、「拍手」機能は残していますので、お気に召されたエントリがもしございましたら、「拍手」ボタンを押していただけますと嬉しいです。

 

[ 1413] 「未だに」って違くね? - 思いて学ばざれば
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/mujin/20070303/p1

「いまだに」っていうのは「いま」と「だに(だ)」を合わせた言葉だけど、「未」という字はこれだけでその両方の意味を含んでるので、「未だに」と書くのは「だに」の重複になる。そう書いてあるとついつい「いまだにだに」と読んでしまうじゃないか。
これらのブログやサイトではわざわざ「未だに」を引きあいに出して「今だに」を間違いだと言いきってる。とくに国語クイズなどと称してことさら「今だに」を不正解だと言ってるのはひどい。ちゃんと理由が分かって言ってるのかな、だれかに「こう書くのは間違いだよ」と言われてそのまま信じてるだけなんじゃないかなって気がする。理由を書いて否定してるのは上から3番目のブログのコメント欄の人だけですね。でも否定呼応うんぬんを言うならば「まだ覚えている」などの表現が使えなくなるよーん。覚悟してね。
似たようなこと書いてる人がいる。でも「未だに」は否定的な文脈で使われるものだから肯定的な文脈では「今だに」と書け、というのは理屈にならない。否定的な意味は「未」という漢字だけではなく送りがなとされる「だに」の方にも込められてるんだから。前掲のURL群の下から3番目のコラムでもおなじ間違いをやってる。
どうしても「未」という字を使いたいのなら「未に」と書いて「いまだに」と読ませればいいのに。それなら意味の重複はないです。
一般的には「いまだに」で一語とみて副詞でしょう。本来は「いまだなり」という形容動詞で、連用形だけが残ったんじゃないでしょうか。古語には「いまだし」という形容詞もあることだし。
最後にリンクしてある「さおのあたま」の著者です。一言コメント。>でも「未だに」は否定的な文脈で使われるものだから肯定的な文脈では「今だに」と書け、というのは理屈にならない。否定的な意味は「未」という漢字だけではなく送りがなとされる「だに」の方にも込められてるんだから。というのは、「間違い」ですな。二点において。まず、私は>「未だに」は否定的な文脈で使われるものだから肯定的な文脈では「今だに」と書けなどという主張はしてません。よく文章を読んでいただければわかるかと思いますが、私が言っているのは単に、「いまだに」を「今だに」と書くのは「間違っている」という主張は間違いだろう、ということです。そして、肯定文においては「今だに」と表記することに問題が無いことを(漱石の例などを引きつつ)論じています。ただし、それはただ、そうすることに「問題が無い」、ということを主張しているに過ぎず、>肯定的な文脈では「今だに」と書けなどという主張をしているわけでは全くないです。二点目。>否定的な意味は「未」という漢字だけではなく送りがなとされる「だに」の方にも込められてるこの主張の根拠は、さっぱりわかりません。記事の最初にある、>「いまだに」っていうのは「いま」と「だに(だ)」を合わせた言葉だけど、「未」という字はこれだけでその両方の意味を含んでるというのが、貴方の考えるその根拠なのかと推察されますけれども、私は漢籍をそれなりの期間、専門的に扱ってきていますが、そんな「未」字の釈を知りません。また、副助詞「だに」にそうした意味のないことも、辞書を引いていただければすぐにわかることです。批判なさるのは結構ですが、せめてもう少し勉強してからにしてほしいもんです。
さおさん、はじめまして、コメントありがとうございます。このエントリをご覧になればご理解いただけるかと思いますが、私は『今だに』表記を間違いだとする主張に対して(大和言葉<とくに現代語の>「いまだに」と漢語「未」のあいだに乖離があると)異議申し立てをしているわけなので、まずその文脈を踏まえてお読みいただければと思います。ご指摘のあった点のうち、まず「『未だに』は否定的な文脈で使われるものだから肯定的な文脈では『今だに』と書けなどという主張はしてません」についてですが、なるほど、そう書けとは明示的におっしゃってないように見えます。しかし漱石の心情を忖度して「『未だに親指は手に付いている』なんて文章は、気持ち悪くて書けないはずだ」とはおっしゃっていますね。つまり、さおさんの想定なさる漱石の機嫌を損ねないためには、私が「未だに親指は手に付いている」と書くことはできないわけです。続いて「否定的な意味は『未』という漢字だけではなく送りがなとされる『だに』の方にも込められてる。この主張の根拠は、さっぱりわかりません」についてですが、ご推察のとおり、副助詞「だに」を伴う「いまだに」が否定的な意味を帯びていることを根拠としております。古くは肯定的な用法もありましたが、「未」の訳語として用いられるうちに専ら否定的な用法のみが行われるようになったと認識しております。さおさんのお手元の辞書がどのように説明しているかについては存じませんが、ここでは現代語における「いまだに」の用法を取りあげて、漢語に由来する「未だに」表記とのズレを指摘しているものとご理解いただければと思います。このエントリの主旨を汲んでいただけなかったのは、きっと私の書きようが拙かったせいなのでしょう。
どうもです。そうなんですよねー。中川先生もおっしゃるように「未だし」と形容詞にも変化するので、そこまでまとめて一語として扱った方がいいんでしょう。なんか分からんなってきたー!
記事本文よりはずいぶん丁寧な言葉遣いでお答えいただきましたので、私も言葉を少々改めます。>つまり、さおさんの想定なさる漱石の機嫌を損ねないためには、私が「未だに親指は手に付いている」と書くことはできないわけです。この点についてですが、もちろん、この場合に「未だに」と書くことについては「おかしい」と考えるのが、私の感覚です。しかし、それは「今だに」と「書け」ということと同じ主張ではありません。別に平仮名で書いたっていいわけです。全く同じ主張を繰り返しますが、私の主張は、「肯定文において『今だに』と書くことに問題はなかろう」ということまでであって、そこから更に踏み込んで、mujinさんの言葉を借りれば、>肯定的な文脈では「今だに」と書けという主張をしているわけではないのです。また繰り返しますが、別に平仮名で書いてもいい。こうした文脈を、まず踏まえてお読みいただきたかった、というのが私のコメントの第一の趣旨です。この問題は微妙な部分を含んでいますので、あの文章は、サラリと書いているようで、わりと細かい部分に気をつかっております。まあ私のほうも、書きようが拙かったのかも知れませんが。二点目。それと、現代語の「いまだに」と漢語の「未」の乖離についてですが、これには全く同意いたします。角行さんが書かれているように、「いま」+「だに」と分ける場合の「いま」に「未」を当てるのは無理がある。漢文で「未」を再読文字として書き下す場合には「いまだ……ず」と訓ずるのが伝統ですが、「未」の訓みというのは、原理的にはその全て(つまり、「いまだ・・・・・・ず」)であると考えるべきではないかと思っています。それ故、思い切って踏み込みますと、「いまだに」を「いま」+「だに」と考える場合には、漢字を当てるならば、それは必ず「今だに」でなければならないであろう、というのが私の捉え方です。実際、戦前の『大言海』では「今、だにノ略」と釈しているようですが、こちらを基本とすべきではないかなあ。で、mujinさんの御主張は理解できていると思うのですが、私が「さっぱりわかりません」(失礼!)と書いているのは、「だに」が単体でも否定的な意味を持っているとお考えのようで(否定的な意味は「未」という漢字だけではなく送りがなとされる「だに」の方にも込められてる、という記事中の文章は、そのようにしか読めません。「文脈」がどうであろうと)、さらに記事の二段落目の文章も考慮に入れると、「未」字にも既に「だに」の意味が入っている、と考えておられるように見える(ここは、不明瞭)。これらの根拠は何だろうか、と、私はその点について疑問を呈しているわけです。何しろ、それを根拠に私の見解を「理屈にならない」と厳しく批判されているわけですから。とりあえず、mujinさんの本記事の主旨は主旨として、そのように私の記事を取り上げて批判されている理由は何なのですか、と、お尋ねしたわけです。このコメントの主旨を、どうぞお汲み取りいただきたく存じます。
言葉が足らないかも知れませんので、追記。つまり、明示的に書いておけば、「だに」は、それ単体では別に否定的な意味を含まないだろう、というのが私の解釈です。例えば、「さなきだに父は怒っているのに、さらに博は挑発した」という文章の「だに」は、肯定文に接続しています。もともと、この副助詞の「だに」は「すら、さえ」という意味なのだから、とくに否定語とのみ呼応しなければならない、という必然性はない、と思う。そのように考えますので、もし「『だに』が単体でも否定的な意味を持っており、専らそう使われる」という語釈をしている辞書があるのであれば、ぜひ教えて欲しい、と、そういうことです。私は、まさかなァ、と思っているわけですが。
あと、しつこくて済みませんが、ちょっとだけ本筋の議論にも噛ませてください。この問題は、ブログに書いたくらいで、私にとっても多いに気になっているもので。。。角行さんの言われている、「いまだに」=「未だ+に」説ですが、これはどうでしょうか。私も国文科ではないので、あまり自信がありませんから、以下、批判というよりは疑問として書いてみます。上述したように、私の基本的立場は、「いまだに」=「今+だに」である、という『大言海』と同じ解釈にあります。それゆえ、ブログには書いてませんが、実はそもそも「いまだに」に「未」字を当てること自体に無理があるのではないか、という疑いをもっている。ただし、これはさほど自信のない見解なので、偉そうには書けません。mujinさんへのコメントの一点目に、私がこだわるのもそういうことです。「今だに、と書け!」とまでは言えないのですよ(^^;)「未だ+に」説に疑問があるのは、「未だ」を一続きの言葉として解した場合、これは当然、「まだ」と同じ意味を持つ副詞である。然るに、副詞に助詞の「に」を接続していいものだろうか? と、そういう躊躇を感じるわけです。たしかに、「未だ+なり」の活用形だ、と考えれば一応の筋が通る気もするのですが、例えば「まだ+なり」とは言えても(?)、絶対に「まだ+に」とは言えない。これはちょっと無理な解釈では、という気がする(気がするだけ、ですが。。。)。この辺り、どうなのでしょうね? 国文法に詳しい方に、教えていただきたいものですが。。。因みに、「未だし」の「未」は、中国文においては動詞です。訓の都合で形容詞に訓んでいるだけ。「天応未也」(天の応は未だし、国語・越下)の「未」は、動詞だとされるのが一般です。「未だ嘗て」は、当然のことながら後に否定辞を予想しておりますから、この場合の「未」は「いまだ・・・・・・ず」と訓ずる副詞ですね。この二つは、国文法ではわかりませんが、中国(漢)文法としては別の品詞に分類されるかと。参考までに。
コメントありがとうございます。「それ単体では別に否定的な意味を含まないだろう」とのご指摘はその通りだと思います。やはり私の認識も書きようも不足していますね。たしかに「だに」自体に独立して否定的な意味合い、用法はありません。「いま」に附随するときのみ、否定的な用法が専らとなりますが、その場合でも「いま」の意味合いは据えおかれたままであると思われますので、そうした意味で、もともと中立的な「いま」を専ら否定的文脈に用いられる「いまだに」へと変容させたのが「だに」の役割であるという認識のもとに書いていたのです。さおさんのエントリでは、肯定文で「未だに」を用いるのがおかしいとはご主張になってますが、否定文についてはとくに言及がありません。なので、肯定と否定の文脈によって「今」「未」を使いわけよというご意見と理解しておりました。対して、「いまだに」は漢語「未」の訳語として定着する以前から、もともと大和言葉として独立に行われていた言葉であって、肯定文であろうと否定文であろうと用いられるのだから当然「今だに」とも書きうるとするのが私の認識なのですね。その点でさおさんのエントリには不満を感じておりました。「書け」とおっしゃることを批判しているのではなく、書き分ける必要も根拠もないんじゃないかという主旨なんです。
>肯定と否定の文脈によって「今」「未」を使いわけよというご意見と理解しておりました。私はそんな主張は全くしておりませんし、更に言えば、「否定文では未だにと書くべきだ」と読みうるような文章は、あのエントリには存在しません。これは貴方の牽強付会な解釈であって、それに基づいて私の見解を「理屈にならない」と批判されている、貴方のエントリのほうが、ずっと「理屈になってない」わけです。これは、はっきりと申し上げておきます。それゆえ、>「書け」とおっしゃることを批判しているのではなく、書き分ける必要も根拠もないんじゃないかという主旨これは私に対してではなく、単に貴方が貴方自身の誤った解釈に対して主張すべき「主旨」であって、私の知ったことではありません。あのエントリにおける私の主旨は、「いまだに」に当てる漢字は専ら「未だに」であるべきだ、という通俗的な主張に対して、「少なくとも肯定文においては『今だに』と書くことになんら問題はないし、むしろそうしなければおかしいよ」という(いわば「反例」を出す)ことまでであって、「否定文においてはどうか」という点についてまでは、まだ言及してないわけです。そこのところを牽強付会な思い込みによって歪曲し、御自分の影に、勝手に私の名前をつけて批判されては困りますよ、と、これが何度も繰り返している私のコメントの主旨ですね。あと、他にも「専ら否定的な文脈に用いられる『いまだに』へと変容させた」の辺りにも議論の余地があると思いますが、そこはとりあえず措きます。貴方が貴方の文章をどういう「主旨」で書こうと構いませんが、そこに勝手に人の名前を出して、誤解に基づいた批判をされるのは迷惑である、と、私はそう申し上げ続けているわけで、それ以外の点については、そこまでこだわるつもりがありません。この件は、できればこれで終わりにしたいと思います(理不尽な御返答があった場合は、別ですが)。今後は、こういう「理屈にならない」批判を他人に向けるようなことは慎んでいただきたいものです。
「つもり」がなくとも、私の記事を挙げて「理屈にならない」と批判されたわけですから、責任が生ずるのは当然ですね。それを申し上げているわけです。「真意を忖度」する気がないのに、人の記事を引用して、根拠のない批判をするのはやめてくれ、ということ。そこんとこ、よろしくです。
今回の件にかぎりませんが、あらゆる主張は最終的にそれぞれの読み手に解釈を委ねられています。それが自分の意図するところでないからと泣こうが喚こうが他人の解釈を制約することはできないのです。できることは、自分はそういうつもりでなく、こういうつもりで述べたのだと言葉を改めて表明することだけです。さおさんはすでにご自身の本旨をここで明らかにされているのですから、これ以上、私にはそれについて争う理由がありません。本人が「私の本旨はこうだ」と言っているのに「いや、あなたの本旨はそうじゃないだろう」と反駁するのは馬鹿げているし、そもそも公益性を欠きすぎています。ここでは「いまだに」を「今だに」と表記することの是非について話をしているのです。ここでは、さおさんの真意はどうでもよいのです。もちろん、私がさおさんの見解を紹介するにあたって解釈の閾を越える事実認識の誤りがあれば、それはご指摘いただきたく思います。しかし私は参照先アドレスを明示しており、さおさんの見解として紹介したものが私の解釈を経ていることは全ての読者にそれを知るすべが開かれておりますし、またさおさんがご自身の真意をこの場所で述べることを禁じているわけでもないのです。もしさおさんがこうしてたびたびご意見いただく理由が、私の解釈がさおさんご自身の真意に沿うものでないから撤回せよとか謝罪せよとか引用するなとか批判するなとかいうものであれば、それについてはお受けすることができませんのでご了承ください。
>私の解釈がさおさんご自身の真意に沿うものでないから撤回せよとか謝罪せよとか引用するなとか批判するなとかいうものであれば、そんなことは申し上げていませんよ、一言も。私が行っているのは単に、「真意を忖度」する努力もせずに他人の見解を思い込みで批判するのはおかしい、という私の立場の開陳です。どこが「思い込み」であるかは、既にこれまでのコメントで明らかにしています。貴方が泣こうが喚こうが、それは主張しますので御了承ください、ということですね。
「だに」というのは助詞で、「〜ですら」っていう意味だと古文で習いましたね。それ以来、肯定文のなかで「いまだに」と使うときは「今だに」のほうを用いています。
なるほど、肯定文と否定文の使い分けですね。意味があってそうしていてもいちいち口出ししてくる人がいるので面倒ですよね。

 

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