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近畿とは?/ モビット

[ 1697] 近畿地方 - Wikipedia
[引用サイト]  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E7%95%BF%E5%9C%B0%E6%96%B9

この項目では日本の地方区分としての「近畿」「関西」について記述しています。中国や日本での「関西」の概念については関西をご覧ください。
日本列島の本州中西部に位置し、瀬戸内海、太平洋、日本海に囲まれた地域で、東は中部地方、西は中国地方と接している。古代は藤原京、難波京、平城京、長岡京、平安京などの都が置かれ、明治維新期の東京奠都まで名実ともに日本の中心地域であった。現在も西日本の中核を成しており、政治・経済・文化の面で関東地方と列んで重要な地方である。
在阪民放各局制作のニュース・天気予報における近畿地方(番組中では「近畿と徳島」と表現される場合がある。番組により徳島県が含まれて三重県が外されるケースもある)
※以下、特に断りのない場合は「2府4県」を近畿地方として扱う。この中には含まれない三重県については東海地方の項を、福井県については北陸地方の項を参照のこと。
気候は大きく四つに分かれる。北部・日本海側は日本海側気候で豪雪地帯(滋賀県余呉町は特別豪雪地帯)、南部・太平洋側は太平洋側気候、中部・瀬戸内側は瀬戸内海式気候、京都府南部・滋賀県南部・奈良県北部などの内陸部は内陸性気候に属する。
温泉・・・有馬温泉、南紀白浜温泉、南紀勝浦温泉、城崎温泉、湯村温泉、龍神温泉、洲本温泉、榊原温泉、湯の花温泉
地上256mを誇り、日本で2番目に高い超高層ビル、大阪ワールドトレードセンタービルディング(大阪市住之江区)
気象予報、経済情勢、交通体系などにおいて、大まかに北部(日本海側)、中部、南部(太平洋側)として3分割されることが多い。明確な境界線があるわけではないが、兵庫県の中国山地から京都府の丹波山地を経て滋賀県の鈴鹿山地北部に至るラインと、中央構造線と言われる和歌山県の紀ノ川河口付近から奈良県の紀伊山地北部を経て三重県の志摩半島に至るラインにより区分される。
中部…大阪府(全域)、兵庫県南部(神戸市内・阪神地方・播磨地方・丹波地方・淡路島)、京都府南部(京都市内・南丹地方・山城地方)、滋賀県南部(大津志賀地方・湖南地方・甲賀地方)、奈良県北部(北和地方・中和地方)
また観光や地域経済においては、中央部を「京阪神」、北部地域を「北近畿」、南部地域を「南紀」などと表現する場合がある[要出典]が、これは一般的な北部・中部・南部の概念とは異なり、地域経済圏のエリア区分として用いられる。これらもそのエリアは限定されているわけではなく、使用状況に応じて範囲は異なる。
京阪神(近畿圏)…大阪府(大阪市内・北摂地方・河内地方)、兵庫県南部(神戸市内・阪神地方)、京都府南部(京都市内・乙訓地方・山城地方・南丹地方)
北近畿…兵庫県北部(但馬地方)、京都府北部(中丹地方・丹後地方)、観光等においては福井県南部(嶺南地方)を含めることもある。
南紀…・和歌山県南部(中紀地方、紀南地方)、三重県南部(東紀州地方)、観光等においては奈良県南部(南和地方南部)を含めることもある。[要出典]
近畿地方を指す言葉としては、「近畿」のほかに「関西」「上方」などがある。いずれもほぼ同じ地域を指して用いられることが多いが、厳密には異なるものである。「関西」については関西#日本も参照。
これを解消するために独自研究は載せないを確認した上で、ある情報の根拠だけではなく解釈、評価、分析、総合の根拠となる出典を示してください(テンプレート)。
「近畿」の「畿」の字義は「都」(みやこ)であり、近畿とは「都に近い地域」すなわち「首都圏」という語義を持つ。初めて「近畿」の語が公的に用いられたのは明治36年(1903年)の国定教科書『小學地理』からである。都が所在する奈良や京都の周辺地域を「畿内」(山城国、大和国、河内国、和泉国、摂津国)と呼んだことに由来し、そのルーツは大化改新で都が難波長柄豊崎宮(現在の大阪市)に移った際に都の圏域を「内畿国」(うちつくに)と呼んだことに求められる。こうした経緯から、狭義としては畿内のみを指すことがあるが、それとは逆に畿内を除いた範囲を指すとする学者もいる。
「関西」は、もともと鈴鹿関・不破関・愛発関以西の諸国全てを指す用語であり、現在のように大阪・京都を中心とする地域を「関西」と呼ぶようになったのは江戸時代以降である。現在の「関西」の用法は関東・東京視点からのものであるため、近畿地方の住民のなかには「関西」よりも「近畿」を好む者も多い。
弥生時代前期の畿内には、目立った政治勢力はまだそれほど成立していなかったと考えられている。当時の畿内に特徴的なのが、方形に区画するように溝を掘って作られた方形周溝墓である。
弥生時代後期になると、奈良盆地東南部に大規模な集落が出現した(纏向遺跡)。この遺跡からは、日本列島各地から流通してきたと思われる土器が非常に多数発見されており、また、王宮跡と見られる大規模な遺構も見つかっていることから、弥生時代後期の倭の中心的な都市の一つだったと考えられている。魏志倭人伝に登場する邪馬台国の有力な候補地ともされている。
近畿地方中部には、ヤマト王権が3世紀中葉に成立し、古墳時代が始まると、ヤマト王権は倭国を代表する政治勢力として成長していった。ヤマト王権の王(治天下大王)は代々、奈良盆地や河内平野に王宮を営み、また同地には王族や豪族たちの古墳が多数築かれた。和泉国の大山古墳(堺)は仁徳天皇の墓と伝承されており、世界最大の規模を誇る。
古墳時代が終わる6世紀中期頃から、王宮が奈良盆地南部の飛鳥に代々営まれるようになった。そのため、古墳時代に続く時代区分を飛鳥時代という。古墳時代後期から中国や百済などからの渡来人が多数来朝しており、その多くは飛鳥時代に奈良盆地や河内平野など畿内近国に定着して帰化した。
645年、乙巳の変で蘇我入鹿が宮中で暗殺されると、孝徳天皇により大化の改新と呼ばれる改革が行われ、飛鳥から難波長柄豊埼宮(大阪市)への遷都が実施された。その後、天智天皇が政権を握ると、667年、大津京(大津市)への遷都が行われた。
672年には、天智天皇の後継者争いから壬申の乱が勃発した。この古代最大の内乱は畿内を舞台に行われ、これに勝利した大海人皇子(天武天皇)は飛鳥浄御原宮(明日香村)に遷都し、中央集権的な国家造りに取り組んだ。天武後継の持統天皇が奈良盆地南部に営んだ藤原京は、日本史上最初の都城である。
701年、大宝律令が施行され、律令制が本格的に導入され始めた。律令制の地域区分である五畿七道によれば、大和国・山城国・摂津国・河内国・和泉国の5国が五畿(畿内)とされた外、丹波国・丹後国・但馬国が山陰道に、播磨国が山陽道に、紀伊国・淡路国が南海道に、伊賀国、伊勢国が東海道に、近江国が東山道にそれぞれ区分されていた。
710年、平城京(奈良市)への遷都が行われ、以後を奈良時代という。平城京には10万人が在住したと推定されており、突如として出現した日本最初の大都市であった。
平安時代を通じて、畿内近国は朝廷の統治が比較的及びやすい地域だった。例えば、9世紀後期には、諸官庁の経費をまかなうための官田が畿内に4000町設定されたほか、他の地域で次第に実施されなくなった班田が、畿内諸国では遅い時期(10世紀)まで励行されていたことなどは、朝廷の統治権が他地域よりも畿内に強く作用していたことを表している。平安中期に名田制が登場すると、畿内では名田の面積が均等化された均等名が多く見られた。平安後期の荘園公領制の形成過程では、畿内近国では他地域よりも荘園の増加がいち早く進行した。
鎌倉時代には、武士による荘園・公領への侵出が著しくなったが、多くの権門(有力貴族や有力寺社)の権利が複雑に入り組む荘園・公領が汎在する畿内近国では、武士の侵出は他地域ほどとはならなかった。畿内の荘園・公領は、権門の統治権が強く及んでいたが、収入の増加を目論む権門は、中国由来の農業技術や新たな農業技術を畿内の荘園・公領に導入しようと努め、その結果、畿内は農業技術の先進地域となった。例えば、畿内では鎌倉時代までに早くも二毛作が実施されていた。
また、一方では商人・職人らが、商業上・生産上の特権を得るために、有力寺社の神人となったり、天皇に奉仕する供御人となる動きが、畿内では特に顕著に見られた。こうした神人・供御人らは獲得した特権を背景として、座とよばれる同盟を結成し、畿内のみならず他地域に渡る広範な交易活動を展開した。
農業生産の向上と神人・供御人らによる交易活動の広域化は、鎌倉時代中期ごろから進展していき、畿内を中心としたこの動きは、流通の活発化、銭貨の普及、そして社会の流動化をもたらすこととなったのである。このような状況がいち早く現出していた畿内では、従来の荘園領主・武士層とは異なる階層が急速に経済力・政治力をつけ始めており、彼らは悪党と呼ばれた。
後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した河内国住人の楠木正成も悪党の一人だったと考えられている。悪党の台頭は、社会構造の流動化を加速させた。従来は荘園領主・国衙・武士に支配されるのみで、自己決定権を持ちうべくもなかった村落が、自検断権を持ち領主と対等に交渉しうる惣村へと成長したのも、社会構造の流動化の一つの現れである。畿内では特に惣村が高度に発達し、また多数存在していた。
室町時代当時、畿内において高い権利意識を持ち、自らの権利を主張したのは惣村だけではなかった。神人・供御人として広範な商業活動を行っていた土倉・馬借らや、在地武士層である国人らも高い自立性を有していた。彼らの高い自立性の一つの帰結が15世紀前期から見られ始めた土一揆・徳政一揆・惣国一揆である。これらの一揆の大多数は畿内で発生しており、他地域ではほとんど見られない。畿内特有の現象だったのである。このように自立性・自主性の高い地域であったため、戦国時代になっても、畿内は他地域のように戦国大名による一円的な支配を織田信長・豊臣秀吉の出現まで受けることがなかった。
江戸時代になると、西廻り航路が開発され、日本海沿岸から瀬戸内海沿岸の物資が集積する大坂は「天下の台所」と呼ばれ、著しい繁栄を見せた。また、松坂は伊勢商人の本拠地、近江八幡は近江商人の本拠地として、それぞれ「本店経済都市」として栄えた。
江戸時代以降、鈴鹿関と須磨の関に挟まれた地域は「関西」や「上方」と呼ばれるようになり、上方文化の中心地となった。上方文化を象徴する人物には井原西鶴や近松門左衛門などがいる。
また、江戸時代の近畿地方にも、多数の藩(地方王国)が樹立された。有力な藩としては徳川御三家の紀州藩(紀州徳川家、56万石)や彦根藩(井伊家、35万石)や姫路藩(池田家、52万石)などがあった。紀州藩は西日本の鎮として睨みを利かせ、彦根藩は中山道沿線を領土として京都に対する備えとして、姫路藩は瀬戸内海に面する山陽道沿いを領土とし西国に対する備えとして、配置されていた。3藩とも幕府にとって重要な存在であったため、居城の和歌山城と彦根城と姫路城は大きな規模を誇っている。
明治維新を迎えると、天皇は京都御所を出て江戸城に滞在することになった(東京行幸)。この時、江戸は東京と改名され、国家機関も東京に置かれた。このため、畿内では衰亡の危機との危惧論も出されたが、1897年の京都帝国大学(京都大学)の創立を初めとして、文化の中心は依然として京都に置かれることとなった。また、江戸時代に「天下の台所」と呼ばれた大坂は、大阪に改称し、引き続き経済と行政の中心地となった。幕末に海軍操練所が置かれて維新直前に開港した神戸は明治20年代末には東洋最大の港湾都市へと発展する。
1871年の廃藩置県後の近畿地方を概観すると、大阪府、京都府、兵庫県、和歌山県、奈良県、滋賀県、三重県となっている。若狭地方は、1876年8月に滋賀県に編入されたものの、4年6ヶ月後の1881年2月には滋賀県から分離され、福井県に編入された。また、近畿地方各地を結ぶ鉄道が、明治政府と私鉄によって建設されたが、特に近畿地方中部では私鉄が中心となって鉄道を建設し、かつ多角化事業を打ち出した。それ以来、近畿地方は「私鉄王国」と呼ばれている。軍事面では、日本海沿岸の舞鶴に、海軍の拠点が置かれた。
明治20年代末以降は京阪神に富裕層が集まり、昭和初期まで日本の文化・経済の中心となって多くの文化人・経済人を輩出した。しかし昭和10年代に戦時体制がとられてからは有力企業や資本家の東京への移動が始まる。
現在、関東地方(南部)に次ぐ日本第2の経済圏を形成しているが、オイルショック以降は近畿地方の地盤沈下が問題視されている所がある。
副首都構想とは兵庫県伊丹市と大阪府豊中市・池田市にある大阪国際空港(伊丹空港)を廃止し、その跡地に副首都を造る構想である。
畿内は、古代から日本の政治的中心であり続けた地域であり、律令時代には畿内を中心とした放射状交通網が整備された。畿内から伸びる路線には、東方へは東海道が、北東方面へは東山道が、北方へは北陸道が、北西方面へは山陰道が、西方へは山陽道が、南方へは南海道が、それぞれ整備された。
江戸時代になると、畿内でも京都を中心にして交通網が整備され、東には東海道と中山道(途中、草津で分岐する)が、西には西国街道が整備された。
明治時代以後は、近畿地方の交通網は、概ね大阪を中心にした放射状幹線が整備されている。幹線ルートは、東海道・中山道ルート、北陸道ルート、南紀ルート、四国ルート、山陽道ルート、山陰道ルートに大きく分けられる。
日本海側では、福知山を中心として、京阪神を経由せずに北陸地方から山陰地方に抜けるルートが整備されている。
国幹道 - 中央自動車道西宮線(名神高速道路)、近畿自動車道伊勢線(伊勢自動車道)・名古屋大阪線(東名阪自動車道・西名阪自動車道)・名古屋神戸線(新名神高速道路)
地域高規格道路 - 京滋バイパス・第二京阪道路・甲賀湖南道路・名神名阪連絡道路・学研都市連絡道路・第二阪奈有料道路
近畿地方の経済の中心においても、平野が細長い地形であり、京都・大阪・神戸・奈良・大津・和歌山・姫路など、散在している中心都市間を結ぶ性格も併せて、同じ方向に2つ以上の事業者の路線が並行したり、近接していることが多い。これらの都市間及び近郊からの通勤利用が多く、特に京阪神圏は東京圏に次いで多い運行本数・利用者となっている。
近畿地方外からの長距離需要としては主として、中部・関東地方を結ぶ東海旅客鉄道東海道新幹線と中国・九州地方を結ぶ西日本旅客鉄道山陽新幹線、中部方面を結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)大阪線・名古屋線の特急列車(いわゆる名阪特急)がある。
また京都・大阪・神戸には地下鉄が、京都・大阪〜堺には路面電車が、大阪・神戸には案内軌条式鉄道が、大阪府にはモノレールがある。
この「近畿地方」は、日本の地理に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(P:日本の地理/P:日本の都道府県)。

 

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